自分
自分はずるくて臆病だ
先日、高校の同窓会があった。
みんなと会うのは約10年振りだ。
僕には高校の時にお付き合いした女性が3人いた。1人は、1年生の冬に、何でもないことを理由に、振ってしまった。
特に理由を告げずに振ってしまい、傷つけてしまったと思う。
今思えば本当にどうでもいい事だった。
彼女とクリスマス近くに、一緒に電車に乗った時に、彼女の声が大きくて恥ずかしかった。
ただそれだけ。
2人目は、同じ部活の女性で、その時は好意を抱いていたが、部活に熱心であったので、なかなか向き合うことができず、帰り道をたまに一緒に自転車を押して帰るくらいで、特に何もしなかった。
そして、すぐに別れを告げた。
その時、彼女から言われたことを今特に思い出す。
「最後に言わせて下さい。あなたはずるい人。ちゃんと意見を言って向き合ってよ。何が理由で、何が嫌になって別れを告げたのか、ちゃんと言ってよ。」
と。
そして、3人目は文化祭で仲良くなった女性で、その女性とはキスまでしたが、僕が浪人生活に入るため、勉強に専念するため、別れを告げた。彼女は、浪人生が彼氏でも良いと言ってくれた。でも、「あなたには大学生という輝かしい場所がある。僕を待つ必要はない。」と振った。
そして、先日の同窓会。3人目の彼女とは、数年前に一度バーベキューで会っていたので、割りかし喋りやすかった。でも、僕はずるいから、僕の友達が僕と元カノのネタで弄るのに便乗して話すキッカケを得ていた。自分から話しかけることはなかった。
ずるくて、臆病なんだ。
2人目の彼女に至っては、視界には入ったことはあったが、喋ってすらない。
そして、極め付けは、1人目の彼女だ。
彼女は、もう結婚して子供もいるらしかった。
彼女は強い人だった。
僕は、自分が変な理由で振ってしまったという罪悪感という名目から、自分から彼女に話しかけてはいけないという勝手なルールを作っていた。でも、いつも話しかけてくれるのは彼女からだった。僕はそれを待っているだけの小さな弱い臆病な人間。
高校3年の時、彼女と僕は体育祭のダンスのペアになった。僕は悪夢に思えて、緊張が止まらなかった。そして、練習初日、話しかけてくれたのは彼女からだった。彼女は、爆笑しながら、「あはは!久しぶり!」と言ってくれた。話したのは1年振りくらいだった。
彼女は、僕と別れてからこの1年間、僕と何回も廊下ですれ違っていたのに、自分は何も悪くないのに僕からは無視されていた。弱い僕からすれば、無視ではなく、恐くて話しかけれなかっただけなのだが、そんなの彼女からしたら、関係ない。結果として、僕は彼女に話しかけなかった。それだけ。
でも、彼女はそんな僕に話しかけてくれた。彼女だって、恐かったと思う。何て言えばいいか、分からなかったんだと思う。でも、勇気を出して話しかけてくれた。その勇気が僕にはなかった。そして、それは今も同じで、僕は高校の時から何も成長していないことが、先日の同窓会で分かった。
前述の通り、彼女は同窓会にいた。僕が会場に入ったら、すぐに視界に入った。
僕は、また話しかけれなかった。自分は変わったんだという証明のために、話しかけようとした。でも、あと一歩、足りなかった。
そして、2次会では、席は同じにならなかったが、彼女がいたことは知っていた。
最後に下駄箱ですれ違った。この時、目が合えば話しかけようとした。でも、目が合わなかった。僕は、一言が出なかった。名前を呼べば良かったのに。
みんな解散して、それぞれがそれぞれの方向に帰る中、僕は少しの寂しさから、交差点で旧友と話をしていた。その時、「じゃーね!」と、聞き覚えのある声が聞こえた。
声がした方を向くと、そこには横断歩道を渡り、遠ざかりながらこちらを見て手を振る彼女がいた。明らかにこちらの方を見ていた。自意識過剰かもしれないが、僕には僕に対して手を振っているように感じた。自意識過剰かもしれない。でも、彼女は強いから、最後の最後に、10年振りに会った時でさえ声をかけれない僕に、一言、声をかけてくれたんだと思う。
その一言は、自分がいかに臆病で、小さく、自分勝手な人間であるかをまざまざと見せつけられた瞬間だった。
僕は、彼女の声かけに対して、手を振り返したが、声を出したか覚えていない。もしかしたら、「じゃーね!」と返したかもしれないし、無言で手を振っていただけなのかもしれない。
そんなことがどうでも良いと思えるほど、彼女の最後一言は、衝撃だった。
やられたと思った。目が合わなかったから、話しかけれなかったのはしょうがないと勝手に自分を慰めていた。
でも、彼女は遠く離れた場所から、目など合ってもいない僕に対して、声をかけてくれた。
僕は、何も変わっていなかった。
そして、この弱さ、臆病さが、離婚の原因の一つであることを知った。
自分を変えたい。
強くなりたい。
夫婦のあり方
夫婦2人、全てを共に過ごしたい、というのは聞こえは良いが、一つでも目指す方向が異なった時に、我慢、失望といった感情が生まれる
人間、一人として同じ人間などいないのだから、それぞれ同じことをしてても感じ方は異なるし、一番達成感を感じることはそれぞれ異なるはずなのだ
自分は離婚をしてしまったが、自分の場合は、「全てを共に過ごしたい」という相手の方向に同調し、将来一緒に楽しめることをと思い、また、長く一緒に過ごしてきたから自分が楽しいと感じることは相手も同じと勘違いし、自分の達成感の感じることを相手に強要した
それは全く持って、相手が達成感を感じることではなかった
逆も然りではあったが、その程度は、自分の方が酷かった
僕は相手に対して声を荒げてしまったことがあった
だから、夫婦が健全な関係でいるためには、それぞれがそれぞれ幸せや達成感を感じる時間を確保する必要があると思うんだ
運動で達成感を感じる人もいれば、読書で達成感を感じる人もいる
当たり前の話だ
しかも、それは体調や天気に依ったりするから、前に2人が楽しめたことでも、今日同じようにそれをすることが正解とは限らない
互いに強要しないこと、相手に求めないことが大事
2人で過ごすことが一番の幸せ、という2人も多いが、それも聞こえは良いが、ある時はどちらかはそうは思ってないこともあるはず
それに対して、あなたは私を愛してないの?と怒るのも違う
たまたまそういう時もあるというだけ
自分みたいな馬鹿正直な人間は、そういう態度を出して悟られて、問い詰められた時には正直に答えてしまう
バカだ
たしかに2
この前、ホンマでっか!?TVで、心理学の先生が言っていたことに、非常に感銘を受けた。
要約は、以下
「人は、心に何か引っかかりのあるテーマは、長く話したがらない。
本当の傾聴とは、相手が何を話したか、ではなく、どの話題を話したがらないか、を気付いてあげるということ。その内容を知っておくことは、相手の今の状態を知る上でとても大事。
相手がそれを話してくれた時は、その人のなかで解消できた、と考えていい。
逆に、なかなか話さないことは、上手くいってないということ。」
なんか、これを聞いて、少し涙が出そうになった。確かに、本当に辛くて、ずっと悩んでる時って、そのことを上手く言えないんだよね。まとまってないから、上手く表現できないから、、、その整理出来てない状態が辛い。
そして、自分の中で消化できた時、急にスッと上手く話せるようになる。
もし、相手が、自分のヤキモキした状態を察してくれて、その状態から解放されるには、とにかく自分と戦うしかないんだと、分かってくれていて、見守ってくれているとしたら、どんなに温かいか。涙が出てくる。
人に依るのかもしれないけど、僕は自分の悩みは、人に話すことでは本当に納得のいく消化はできないと思ってる。
それは、自分の悪いところでもある。そういう時は決まって、周囲の人に対してトゲを生やしている。分かっている。
僕は弱い人間だから、悩んでいるテーマに対して、自分が考えていることを否定されるのが怖いのかもしれない。でも、それを常にオープンに出来る人って少数だと思う。みんな、ある程度悩んで、自分の中である程度の答えが見つかるまで、なかなか話さないと思う。
たしかに1
ヤフーの記事で、確かにと思った。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180910-00000007-it_nlab-life
でも、内容が浅すぎて全然面白くなかった。
朝を「とも」と呼ぶに至った背景や、それが分からなくても他の特殊な読み方の経緯の併記くらいはしてほしかった。
本当に、今の時代、どんな内容のことでも記事になるし、それをタイトルに惹かれて読む人が沢山いるんだなって思いました。
哲学5(働く意味、子離れ、孤独)
ー働く意味ー
我々は「仕事が意義あるものである」という考えを捨てなければならない
ホッファー
初めから意義を見出そうとしても難しい。意義は後から出てくるもの。
仕事にとって大切なこととは「自由」「運動」「閑暇」「収入」
この4つの"適度な調和"である
ホッファー
ホッファーは、12/6に、現金106ドルを持っていた時点で、今年はもう働かなくてよいと考えていた。自分が満足で幸せと感じるのに必要な条件を知っていた。
自分にとっての4つのバランスとは?
自由、運動、閑暇、収入
うーん、、、この4つに当てはめるのは難しいな。。。
ー子離れー
人との距離は
近すぎず遠すぎず
ショーペンハウワー
何かあったら言ってくれ。
毎日起きてくる顔を見てると、相手がどのような状況か分かる
子供は他人にも両親にも
物件として所属するものではない
子供は親ではないということ。
親の役割は、子供を社会と関連付け、社会で活躍できるようにすること。
子供が働きだしたり、やりたいことを見つけたら、親としての役割は一旦終わったようなもの。
ー孤独ー
孤独から抜け出るために
他者の顔を見つめることから始めよ
レヴィナスは家族友人のほとんどを戦争で失い、壮絶な孤独となった。
単に一人だからということではなく、見知らぬ人たちが何もなかったかのように生活していることが孤独を感じさせた。
人格も感情も表情もなくただ立っている人たちがいる状態。
これをilya(イリヤ)と名付けた。自分とは関係なくただ存在するだけの世界。
人の顔を描くのは人格を表すことであり、自分のことをどう思っているのかを表すことになってしまうから、イメージすることができなくなる。
顔は他者への入り口
その人を直視すると、社会的属性(社会の役割)が消えて
その人自身が浮かび上がってくる
お金には心がない
しかし、築いてきたものには思いがある
孤独を選んだ人は、孤独にしかならない
哲学4(仕事と子育ての両立、中途半端、タブー、欲望)
➖仕事と子育て、中途半端
リゾームになり 根にはなるな
何かを生み出すのは
つねにリゾームを通してだ
ジル•ドゥルーズ
リゾーム=地下茎
根(ツリー構造)は一本の枝分かれ、リゾームはもっと蜘蛛の巣や網目構造、シナプスのようなもののこと
ツリー構造は、一つのことを極めてそれを派生させていくこと
リゾームは、色々なことが横で繋がっている状態
一つのことに専念するのが良いという考えは、日本的発想。それが良いとは限らないというのは新しい考えだった。
とはいえ、結果を出している人は、ある程度他のことを切り捨て、一つのことに集中しているように見える。それが幸せかどうか、ということか。
実際、色々手を出していると、一つのことをしてて先に行っている人を羨ましく見える。
それは自分が何でも欲しがってしまうからか。
自分は、足りないものを何でも欲しがる。
足りないものを追い求める人生は辛い。一つ一つ足していく人生の方が幸せではないか。
➖タブー
タブーとは、秩序を守るために存在する
➖欲望
生活を健康で力強いものにしたければ
“正しい喜び”を持つようにしなさい
ヒルティ
ひとは自制しなければならぬ
これは あらゆる享楽の主要条件だ